好きに気ままにオレンジ色

オレンジのように時に明るく、青く深い海のように時に浮かず、補色のように代わる代わる色々ある日々を不定期に綴っています。

アリーシャの事でふと思い出す

第2期が今夜(正確には前日)からスタートのテイルズオブゼスティアザクロス。待ちに待ったお話しの感想を綴る前に1コだけ。今夜のお話し(#13)には登場してないのですが、アリーシャに関することで前々から思っていた事があり、それをふと思い出したので(こんなタイミングでアレだけど)伝えたいです。

TOZのプレイヤー界隈でよく「アリーシャ可哀想(またはアリーシャいじめ)」という言葉が出てきますが、正直ああいう決めつけ私は苦手です。元々「他人が勝手に人様を可哀想と談ずるのは失礼(おこがましい)」と教えられて今日を生きているので、あれほど懸命に自分の人生を歩んでいるキャラに対して、なんか違うなって。


テイフェスでもアリーシャが大画面に映ると、会場全体ひときわ大きく歓声が起こるけど、あれも「可哀想」からの同情票であって純粋な人気とは違うものなのかなって(憶測)思うと、その方がよっぽど可哀想じゃね?と。私もアリーシャが好きだから、だからこそないわーって思っちゃうんだよね。

ゲームしていた頃(初回)も、確かに彼女ハタから見たら可哀想なんだけど、感傷に浸りすぎる事もなく、すごい頑張ってる。私は「こんな状況なのに信念に基づいて(時には命がけで)行動できるなんてスゴイ人だな」と、それらしいシーンが出るたびに尊敬というか、圧倒されてた記憶があります。大げさだけど本当の話し。

「師匠との槍の稽古で追い込まれると力が湧く(要約/本人談)」を聞いた時から「あ、この人打たれ強いわ(=何も心配いらない)」と思ってしまって、だからかな「可哀想」イメージが私の中では浮かばない………逆に「尊敬できるくらい心が強い人(私もああなれたらなぁ)」と羨望すら混じった気持ちをよく浮かべてた。

「打たれ強さ」って結局のところ、生まれ持った性格による所が大きいです(環境次第で育めるものでもあるだろうけど)。私が決して持っていないものを持っているアリーシャ、だからこその「こうでありたいな」という憧れと、尊敬する気持ち。

バルトロ(政治上の邪魔者)の暗殺現場に居合わせても「その人いないと国が回らないからやめろ」と私情一切抜きで庇ったり、とても信頼していた人の正体を明かされても(ショックな出来事)こっちの心配をよそに穢れたりもせず………素は普通の少女なのになぜこんなに強いのかと言えば、きっと「夢」への想いが強いから。


以上です。アリーシャを「可哀想」と談じている人に、ちょっとだけ耳を傾けて欲しい、とあるアリーシャ好きがこれまで思っていた事でした。「可哀想」を「善」のつもりで口にしているのなら、それちょっと違うから考え直した方がええで?と。

………ふぅ、ちょっと語れてスッキリ。
こんな調子で今後もTOZXの視聴後に感想を、関係ない話しをしまくりつつ綴っていくと思うのですが、どうぞよろしくです。長くなっても許してね。では!